6月は、私の誕生月です。

両親に感謝をささげる日ですね。


私は、3人兄弟の真ん中。

写真は、兄と弟に挟まれた私です。


両親はレースや服地などの織物会社を経営していました。

朝から夜まで忙しく働き

住み込みの従業員さんも居てたり

家事を手伝う人も居た時期があり、

私たち子ども3人は大人に囲まれて育ちました。


忙しくても母は手料理を食べさせてくれ、

仕事の合間に自転車で買い出しをしていました。


いつも前と後ろに沢山の食料を乗せて

市場から帰ってきたのを覚えています。


私は、頭の中で色々と考える子どもで、

周りの大人の様子が分かり、

わがままなことを言ったりして

親を困らせることが少なかったように思います。


「わがままも言わずに、この子は育てやすい」と、親が言ってましたから、

そうだったのかも知れません。


一つ、誕生日にまつわるほろ苦い思い出があります。

私と弟は同じ6月生まれでした。

私の方が5日間早くて、

お誕生祝いは、いつも弟の誕生日に合同でしていたのです。


そのことが私は不満で、

私の誕生日に、私を祝って欲しいと思っていました。


それで、ある年の弟の誕生日の日、

自転車の前と後ろに食料品を乗せた母が帰宅した時に、

玄関で、その事を訴えたのです。


「なんで私の誕生日の日に、私を祝ってくれないの?」

一瞬、母は驚き、

「誕生日は、その前に祝ったら縁起が悪いから」

と答えました。


私は、ひるまずに、

「弟ばっかり可愛がっている」 そう言って泣きました。


「そんなつもりはないよ」 などなど、、

母が何を言おうが、溢れだす感情を押さえられずに、

泣き続けて、

「弟ばっかり可愛がってる」と言い続けたと思います。


今も思い出されるその時の光景は、

玄関先で自転車の荷物を降ろさずに、

ハンドルを握ったまま困っている母の姿です。


夕暮れの忙しい時間、

これから誕生日のご馳走を作ろうとしていたその時。

どんな想いが母の中を流れていたことでしょう。

その時の私は分からなかった。


いや、分かっていたのでしょう。

だから、今も忘れられない。


私は、もう大きかったのだと思います。

新しい家の玄関だったから、

中学生だったのでしょう。


今ならはっきり思う。

その光景に確実に愛があったのだと。


泣きじゃくるあの頃の私にそう伝えたい。


きっと、母も私の思いを受けたでしょう。

中学生の私が泣いて訴えた「寂しさ」 を。


誰もが持っているキュンとする親と子の想い出。

そして、そこにそれぞれの「愛」があるのを

後から感じることが出来るでしょう。


明後日は滋賀での講演会があります。

その後に、大津にいる母と食事をする予定です。


今は、あの頃から見る影もなく、年老いた母に、

母への感謝の花束を持って。

「産んでくれてありがとう!」 と、伝えてこようと思います。


☆☆兄と弟に挟まれて☆☆

3人とも母の手作りの服を着ています。